『雨が触れたかったもの』
雨は、夜のはじまりに降り始めた。
音もなく、光もなく、
ただ、空から地上へ向かって、
静かに落ちていく。
誰かの傘に弾かれることも、
屋根に遮られることも、
舗道に吸い込まれることも、
雨は拒まなかった。
それは、濡らしたかったのではない。
ただ、触れたかった。
ただ、一緒になりたかった。
雨粒は、窓の外に残された椅子に落ちる。
誰も座っていない。
でも、雨はその布地に染み込んでいく。
まるで、誰かの不在に寄り添うように。
木の葉に落ちた雨は、
葉脈をなぞるように流れる。
それは、葉が語らない記憶を、
そっと読み取ろうとする仕草。
そして、地面に届いた雨は、
土の匂いと混ざり合い、
もう自分が雨だったことを忘れていく。
それは、消えるのではなく、
世界の一部になること。
朝が来ると、
雨はもう降っていない。
でも、空気の中に、
誰かがそっと触れたような感触だけが残っている。
それは、雨が世界と一緒になりたかったという、
静かな願いの痕跡。