『雨がなぞった輪郭』
午前四時、
町はまだ眠っていた。
屋根の上に、
雨が静かに降り始める。
音ではない。
ただ、空気の密度が変わったことだけが、
その始まりを知らせていた。
舗道に落ちた雨粒は、
昨日の足跡をゆっくりと消していく。
誰が通ったかも、
どこへ向かったかも、
すべてが曖昧になっていく。
雨は、忘れさせるために降っているのではない。
ただ、記憶の輪郭を柔らかくするために、
静かに触れているだけ。
公園のベンチに残された紙袋、
誰かが置いていったままの傘、
それらに雨が触れると、
色が少しだけ深くなる。
まるで、過去が濃くなったように。
そして、ある瞬間、
雨は風に混ざり、
空との境界が曖昧になる。
そのとき、
世界は少しだけ静かになる。
音が消えるのではなく、
音が「どこから来ているか」がわからなくなる。
朝が近づくと、
雨は細くなり、
町の輪郭が戻ってくる。
でも、すべてが少しだけ違っている。
濡れた壁、滲んだ看板、
そして、誰も気づかないまま変わった空の色。
それは、雨が通り過ぎた証。
語られなかった記憶が、
一度だけ、世界に触れた痕跡。