『波の手のひら』
貝殻は、ひとりで浜辺にいた。
乾いた風にさらされ、
太陽に焼かれながら、
それでも、誰にも拾われることなく、
ただ、海を待っていた。
夜が来て、潮が満ちる。
波がそっと近づいてくる。
最初のひと撫では、
まるで「見つけたよ」と言うように、
貝殻の縁を優しくなぞった。
次の波は、少し深く。
貝殻の内側に残る虹色に触れ、
その色が、ほんの一瞬だけ光る。
それは、海に抱かれる準備の合図。
波は、手のひらのように広がり、
貝殻を包み込む。
冷たくもなく、
激しくもなく、
ただ、ずっと待っていたものに触れるように。
砂が舞い上がり、
水が貝殻の隙間に入り込む。
その重みは、まるで眠りの毛布のようだった。
そして、波は引かない。
貝殻を置いていかない。
そのまま、そっと抱いて、
海の奥へと連れていく。
誰も見ていない。
でも、月の光だけが、
その瞬間を静かに照らしていた。
それは、
拾われることなく、
語られることなく、
ただ、海に撫でられ、包まれて、
静かに還っていく貝殻の願いが叶った夜。